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あの人の森は?
伝えたい、森の今:第七回インタビュー:長谷川 敬 さん

あの人の森は?

伝えたい、森の今

第七回インタビュー:長谷川 敬 さん 「快適な家」「長期優良住宅」を問う。

聞き手・文:赤堀 楠雄(林材ライター)

人が働いて元気になれる家をつくりたい

僕が理想だと思う家は、住む人が働くことによって元気になる家なんですよ。ところが、いまの家は高気密高断熱で24時間換気が行われているから快適だとか、さまざまな設備が充実しているとか、そんなことばかりが追求されている。住む人は何もやらなくてもよくて、家の仕掛けや設備が機能的に働くことで快適に過ごせるようにという考え方ですよね。でも、人間が何もしなくなったらどうなると思います? 弱っちゃうでしょう? だから、家はむしろ住む人が働かざるを得なくなるように挑発するくらいでちょうどいいと僕は思う。それを僕は「働く家」と名付けたんです。暑ければ窓を開ければいいし、寒ければ厚着をすればいい。これは人間が生きるとはどういうことかということと関わってくるんですよね。めぐまれた環境下で何もしないで生きるのが人間ではないでしょ。

そもそも人間にとって本当に快適なのはどんな家なのかをもっと総合的に研究するべきだと思いますね。温熱環境にしても、今は単に空気温度だけで基準を決めてしまっている。だから高気密高断熱にして家の中の温度を一定にするのがいいという考え方になる。そうではなくて、生理学者だとか医者だとか、あるいは子育ての専門家だとか、そういう人たちがみんなで、どういう環境で育ち、暮らすのが一番いいのかを研究すれば、もっと違った結論が出てくると思います。生き物というのは環境の変化に対してセンサーを働かせながら生きているわけですから、そうしたセンサーが多面的に機能するような環境を実現しようという考え方になるんじゃないでしょうか。

 

田舎への疎開が原体験になっている

僕は東京の自由が丘で生まれたんです。西洋かぶれの最たるところですよね。生まれた家もまさにそうで、ハイカラなまさに西洋かぶれの家だったんです。でもそのうちに戦争になってしまい、終戦の前年に家族で栃木県の鹿沼の近くに疎開しました。僕が8歳くらいのときです。それから11歳くらいまでの4、5年間を田舎で過ごしたわけなんですが、あれは外国に滞在したみたいでとても楽しかった。人が畑で自分が食べるものをつくっていたり、水を井戸で汲んだり、炭を自分で焼いたりしている。牛や馬も飼っててね、その糞尿も肥やしに利用する。川の水をうまく利用して洗濯をしたり、食器を洗ったりする。最初はびっくりしたんだけど、1年くらい経つうちにえらく面白くなってきましてねえ。自分でも魚を獲ったり、鳥を捕まえたりして野山で遊び呆けてました。

そのときの体験というのは、僕の中で非常に深い原体験みたいになっていますね。こういうことをやりながら人間は生きられるんだということを初めて知った。もちろん、その時はまだ子供だからはっきりわかっていた わけではないんだけど、いま思うと原点になっていますね。設備や仕掛けをどうこうするんじゃなくて、人が働くという暮らし方がいいんだという考え方のね。それにその方がよほどエコロジカルだし、楽しくもある。つらくはないんですよね。薪を採りに山に行って鳥を眺めていたり、竃の火をじっとして見つめていたりといったことが快い記憶として染みついているんです。そういう快さというのは、やはり人が自分で何かをやる暮らし方でなければ味わえないと思うし、それができる家が理想だと思いますね。

 

近くの山の木を生かして林業を成り立たせたい

「近くの山の木で家をつくる」ということを意識するようになったは20年くらい前からです。東京の多摩の山で枝打ちや下草刈りといった林業の作業を体験して、そのときに初めて、木材というものはこうやって生産するんだということがわかった。ところが、それが使われずに林業者が困っているという。だったら、僕らのように家をつくっている設計者とか工務店とかが山の木を使えばいいんじゃないかと思ったんです。それで「東京の木で家を造る会」を立ち上げたわけです。「緑の列島ネットワーク」の設立にも加わって、いわゆる「近山運動」に参画していくことになるんですね。

だけど、そうやって取り組んできたことが本当に林業の役に立ったり、山を良くしたりということにつながったのかというと、そこは難しい。そんな簡単な話ではないんだということがだんだんわかってきたんですよね。単に山の木を使えばいいというわけではないんですよ。木を育てることや伐ることといった林業が本当に成り立つようにすることと、山の木を使うこととが一体となったシステムというのは、残念ながらまだできていない。だから、どうすればいいのか、いまもまだ考えているんです。ただ、山の木を使うことによって、地域の製材工場が経営し続けられることに少しでも貢献できたのは、よかったと思います。いまは木を工業的に扱おうということで、製材工場の大規模化が進められていますが、そういう工場ではなく、木の個性にきちんと向き合う製材工場が残っているというのが大事なことなんです。

 

本来の木の家づくりが難しくなってしまっている

いまは木の良さを生かした家がつくりにくくなってしまっていて、本当に困ったことだと思います。例の耐震偽装事件をきっかけとして、いろいろな法整備が進んだんですが、それらがことごとく木の家づくりを難しくさせるような方向で機能している。長期優良住宅の制度なんかは、まさにそうです。あれの基準は「住宅の品質確保の促進等に関する法律」(※)で定められているんですが、それに合わせようとすると、高温で乾かした木や合板や集成材といった接着剤で貼りあわせた木を使い、それらを金物で締め付けてガチガチに固めるような仕様でなければ対応することが難しい。本来、木造というのは、木の粘り強さを生かしたしなやかさがあるものなんです。ところが、そのように木を生かす伝統構法や伝統型在来構法では、長期優良住宅の条件に合わせられないという事態になっている。まったくおかしなことです。

木というのは1本1本性質が異なるものですよね。伝統構法や伝統型在来構法は、その個性を生かしたつくりになっているんです。そういう家のつくり方が継続できないようになったとしたら、それは林業がいっそう厳しくなることにつながると僕は思います。単に国産の木材を使えばいいという話ではないんですよ。工業的に品質をそろえた木ばかりが求められ、それを使った家ばかりが経つということになったら、良い木を育てようとして林業に携わっている人たちが意欲を持ち続けることができなくなってしまいます。そうはならないためにも、木の良さを生かした伝統構法や伝統型在来構法がきちんと評価されて、建て続けられるようにしなければいけない。そのための法整備や制度改正を急ぐべきだと訴えたいと思います。

 

プロフィール

長谷川 敬|はせがわ ひろし

一級建築士事務所 (有)長谷川敬アトリエ 代表
1937年東京生まれ。京都大学卒業。65年米国アリゾナ州でパオロ・ソレリに師事。(株)都市・建築設計研究所を経て、74年長谷川敬アトリエ開設。普通の家造りを目指し現在まで百数十棟の住宅、聖ヨハネ・ホスピス等を設計。その間「東京の木で家を造る会」、近くの山の木で家をつくる運動「NPO緑の列島ネットワーク」設立に参加。現在は、地域材を使い、大工、左官等の職人による家づくりに専心している。

アトリエ 聖ヨハネホスピス

東京都国分寺市光町2−1−25 tel 042-576-7381
一級建築士事務所 (有)長谷川敬アトリエ

長谷川 敬|はせがわ ひろし
 
 

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