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森から見る、日本の未来
インタビュー02 自足、自立で再生する地域社会:澁澤 寿一

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ポスト3.11と森:森から見る、日本の未来インタビュー02

自足、自立で、再生する地域社会。

Photo : harakohei (C) All Rights Reserved.

農学博士、環境NPO 樹木・環境ネットワーク協会理事長を務める澁澤寿一さんは、長年にわたり中山間地域を中心とした地域づくりに尽力され、森林文化保全の教育・啓発の第一人者でもあります。貨幣経済から脱却する社会モデルを実際につくって来られた澁澤さんに、ポスト3.11のコミュニティ再生への手がかりを伺いました。

貨幣経済の時代が本当に終わると直感した、震災の日。

澁澤 寿一

年間280日ぐらい地方に居る僕が、震災の日はシンポジウムがあって偶然東京に居ました。そこで目の当たりにしたのは、地震の1時間後にはコンビニからパンとおにぎりとペットボトルがほとんど消えて、翌日には水も何もなくなったことでした。お金を持っていてもモノが買えない、生活必需品が買えないという事態に、僕らは初めて直面したわけです。

高度経済成長から今まで、僕たちはすべてのことを「貨幣」というグローバルな基準に翻訳し、経済中心の社会をつくって来た。一方で、僕が多くの時間を共に過ごしている森や山の人々は、「生きるためにお金はそれほど必要ではない」という社会を守ろうとしながら、とは言え、昔の時代には戻れないよね、という話もあった。
ところが、それが現実になって、「本当にただお金だけを信じて来た時代というものがこれで終わるのかもしれない」と、あの日に思いました。

昭和8年の復興計画書に見た、今の地域づくりに欠けているもの。

7月になって、被災地の、もともとご縁のあった岩手県大槌町の吉里吉里へ行きました。そこで驚かされたのは、神社の蔵から出て来たという昭和8年の復興計画書でした。このあたりには昭和8年3月3日にも大きな津波被害があり、新しい漁村を建設しようという計画書が早くも7月13日には出来ていた。4か月足らずで約60名の町長以下、役場職員と村人が分厚い計画書をまとめたスピードも驚きでしたが、本当に愕然としたのはその内容でした。

一番初めに書かれているのが、「隣保相助の精神のもとに、日常生活と産業経営の両方を復興させ、未来永劫続く共存共栄の村にしなければならない」ということ。続いて、「個人の感情や利害ではなく協調し、緊張感を持って一致団結のもとに邁進」とあり、三番目には「恩を忘れず、残った財産は子孫の教育につぎ込もう」と。そして、新たに養蚕業を試みようとか、雑穀で食糧の基礎を築こうとか、具体的な計画が延々と書かれている。

僕たちが、仮設住宅が何戸必要か、道路はどこにつくって、堤防は漁港はとハードからの復興ばかりを考えている時に、昭和8年の人達はどういう暮らしをつくるかということを最初に考えていた。このことから僕は、被災地ばかりでなく、今の地域づくりには「どう生きるか」という部分が根本的に抜けているということを改めて教えられた気がしました。

たとえば、限界集落をみても、行政サービスが行き届かないとか買い物難民だとか、物質的な面ばかり問題にされている。でも、山奥で暮らしている老夫婦に聴くと、「山のどこに行けば食べ物や薬になる草があるかを知っているし、山の暮らしが身体に染みついているので生きていくことは大変ではない。不安なのは、時代に取り残されて誰にも知られずに死んでいくことだ」と。つまり、本当に欠けているのは、人と人とのつながりなんですね。

今の日本は、物質的な豊かさと消費の先進国かもしれないけれど、そこで生きていく人間としての喜びやお互いを認め合うことなどがすっぽり抜けてしまっている。その一方で、「貨幣経済のオルタナティブな価値観をつくって行こう」とする人達も居て、彼らが行き着いたのは「」とか「幸福度」という言葉だった。そういう価値観をもった地域や社会をつくることを、みんなで考える時代になったのだと思います。

水、食料、エネルギー、教育、医療を「自給」できる中山間地域へ。

では、これからみんなでどういう地域社会をつくって行けばよいのか。
よく一極集中型社会から分散型社会へと言われますが、僕が実際に地域づくりに携わっていて思うのは、分散型社会というのは水と食料、エネルギー、教育と医療・福祉を自給していけることが基本です。特に中山間地域においては。

今の中山間地域と言われているエリアのほとんどは、水と食料は自給できます。お金が出ていくのは教育、医療、エネルギーなので、まずはこのエネルギーを自然再生型に、小さい規模で木質エネルギーに変えて行くことが重要となります。

僕が10何年携わっている岡山の真庭という人口5万1千人の町があって、そこでは去年(2011年)、自分達が使う総エネルギーの11.3%を、山の木を利用した木質エネルギーで自給できるようになった。ほとんどが電気ではなく熱利用ですが、古くなったボイラーを全部木質ボイラーに切り替えることで、それまで費やしていた12億のお金が出ていかなくなったんです。利益にならなかった自分達の森の木が熱源として利用できるようになり、地域内でエネルギー自給ができる。

真庭バイオマス集積基地の概要(バイオマスタウン真庭より)

真庭バイオマス集積基地の概要(バイオマスタウン真庭より)

残されたのは、教育と医療・福祉です。医療においては、電子カルテなど効率化が進み、見守りのシステムを合わせていくなど制度の改革によって出来ることが相当あると思います。福祉に関して言えば、どういう社会に向けてコミュニティをつくっていくのかを、集落ぐらいの小さい単位で「寄り合い」をして話し合って、みんなで相互扶助していくしかないですよね。

問題は、教育。地域で生きていく人材は、地域で教育しなければいけない。地域に今居る大人達が自信を持って、その土地で生きていく力を、自然とどう付き合って自分という命をどうやって生きながらえさせるのかを教えなければいけないと、僕は思うんです。

お米も茄子も仏壇に飾る花も自分でつくれて、山に入れば毒キノコがわかってという風に、農業ではなく「農」を教える。森の中で「あそこに熊が居る!」とわかる直感力、「あの山の雪があんな形になったら種を蒔く」と、自分の五感で自然を読む力を教える。そうやって自然と会話ができるというのは、試行錯誤の直感力ですから。

都市部では、自給という生き方は難しいかもしれませんが、できることもあります。たとえば、どこかの中山間地域と小さな単位でコミュニティサポーテッドな関係、運命共同体のような関係を築く。特定の生産者と個人的につながって、お米と野菜はこの人がつくったものを買う。それもただ買うだけでなく、年に一回は必ず顔を合わせたりネット上のコミュニティでつながったり、生産者と消費者が一緒に生きて行きましょうというシステムを、個人レベルでつくることができますね。

「自足」と「自立」を誇れる、幸せな社会を築こう。

これからの地域づくりにおいて大切な心構えは、「自足」だと思います。自足とは、ある範囲の中で自分が生きていくということであり、その根本には「覚悟」が必要かもしれません。欲望を肥大化させたり、際限なく選択肢を探し求めたり、一番良いものを選択しないと損だと思ったりするのではなく、自分がこのぐらいで生きていくと決めることから自足ははじまります。

今の自然再生エネルギーの議論でも、みんな自給の理論ですが、何が幸せかと考えていくと自足の理論をつくっていかなければならない。自足は我慢ではありません。幸せだと思えること、そして自立して生きていくことなんです。

貨幣経済で幸せを感じることに限界が来た今、この限られた地球のなかで、自分をどう自立させて行くか。自立度が増していくことが誇りだと思えるような社会を何とかつくりたいと、僕は思っています。

その人をずっと忘れない それが僕たちに出来ること

震災後の5月、僕の教え子の学生がボランティアとして被災地へ入った時の話です。一人の女子学生が、避難所の漁師さんと親しく話をするようになった。その漁師さんは、家族も財産も全て失って、まだ義援金も配布されていなかったから、財布に残った2500円が全財産だったそうです。

そんな時、あるボランティア団体が避難所の人達を宮城の鳴子温泉に招待してくれて、震災後初めて外に出られると喜んで参加した漁師さん。彼女のために、鳴子名物の「こけし」を買って来てくれたというのです。驚いた彼女がそっと裏を見ると、1200何十円と書いてあった。2500円が全財産と知っていたから、「え、なんで!?」と聞くと、「俺のことをずっと覚えておいてくれと言っても無理だと思う。だから、このこけしをどこかに置いて、それを見たときだけでも思い出して欲しい」と……。

誰かの助けになりたいと願うとき、一対一で、その人を忘れませんよ、ということが僕たちにできる最善なことなのだろうなと、僕は思うんです。

森の名人のところに高校生が行って一人で話を聞き、そのレポートを競う「森の聞き書き甲子園」という活動を10年やってきたのですが、そこでわかって来たのは、「聞き書き」という行為は、聴き手が一対一で相手に向き合い、自分を消して相手の言葉をとことん聴き、その人に重なって行くということなんですね。

そして震災後、「聞き書き」を学んだ聞き書き甲子園の卒業生たちが、101人の被災者の方に一対一でお話をうかがって、聞き書きを行いました。それもまた、一人が一人に寄り添って、つながって、重なっていく。そして、ずっと忘れない、という行為であると思っています。

プロフィール

澁澤 寿一

澁澤 寿一 しぶさわじゅいち

1952 年生まれ。東京農業大学大学院終了。
1980年国際協力事業団専門家としてパラグアイ国立農業試験場に赴任。帰国後、長崎オランダ村、循環型都市「ハウステンボス」の役員として企画、建設、運営まで携わる。
現在、樹木・環境ネットワーク協会ならびに共存の森ネットワーク理事長として日本やアジア各国の環境 NGOと地域づくり、人づくりの活動を実践中。
全国の高校生100人が「森の名手・名人」や「海・川の名人」をたずねて聞き書きし、発信する「聞き書き甲子園」の事業など、森林文化の教育、啓発を行っている。
明治の大実業家・澁澤栄一の曾孫にあたる。

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