2013年6月、「奇跡の一本松」で知られる陸前高田市今泉地区。ほぼ全ての家が流出し雑草が生い茂る空き地に、近隣のいくつかの仮設住宅から地元住民約80人が集まり、自らの手で集会所を建てました。わずか2日間での建設を可能にしたのは「KUMIKI」という複雑な凹凸が加工された木材ブロックのキットです。KUMIKIのブロックは子どもでも持ち運べるような小さなパーツですが、伝統工法「追っ掛け継ぎ」を活用することで、接着剤も釘も使わずに、木材を高い強度で接合することができます。特別な技術がなくても、誰でもみんなと一緒に楽しみながら家や集会所など小規模な建物がつくれるKUMIKIの、最初の完成形がこの集会所でした。
陸前高田今泉地区の集会所建築プロジェクトの様子
もともと、このKUMIKIプロジェクトは、代表の桑原 憂貴(くわばら ゆうき)さんが震災後、陸前高田市に入り、復興住宅のために次々と伐採される地元材・気仙杉の「小径木や切り株など使い勝手の悪い小さな木材を何かに活用できないか」という声を聞いたのが発端。「レゴブロックのように、自由にモノをつくることのできる木材キットを作ろう」というアイディアの実現方法を模索するうちに、宮崎県高千穂で20年前に開発された「つみきブロック」に出会います。
つみきブロック
つみきブロックは、「積み木でお家をつくってほしい」という子どもの願いに応えて、試行錯誤の末に考案されたという住宅パーツ。「小さな木材を使えるし、子どもでも持ち運べる。これなら、人の手を離れてしまった家づくりを人の手に取り戻せる」と思った桑原さんは、翌2013年3月、陸前高田に会社「紬」を設立します。以来、陸前高田市役所をはじめ、地元の建設会社や優れた技をもつ気仙大工の皆さんからも応援を受けて、KUMIKI シリーズの商品開発を進めてきました。
KUMIKIシリーズには、「KUMIKI HOUSE(くみきハウス)」と「KUMIKI LIVING(くみきリビング)」というそれぞれ形の異なるパーツがあり、それらを組み合わせることで、家具から家まで様々なものをつくることができます。
KUMIKI HOUSE
KUMIKI LIVING
集会所のために組み立てられたのはKUMIKI HOUSEで、現在は大分県の間伐材を利用しています。もとは気仙杉の活用を想定していましたが、地元木材加工業者は復興住宅建築で多忙を極めていて、木材工場に新たな生産ラインをつくることが難しく、一度は断念。それでも、「小径木や山に放置されている切り株を角材にするところまでは実験済なので、近いうちに陸前高田かその近辺で生産したい」と、桑原さんは地元産へのこだわりを語ります。
また、2013年6月頃から、テーブルやスツール、棚、ベッドなどの家具をみんなでつくれるKUMIKI LIVINGの開発も始まりました。陸前高田の集会所をつくった際、「こういうつくる楽しみや人がつながっている感じを、都会でならどう実現できるか」と考えた結果、たどり着いたのがKUMIKI LIVINGです。
家具シリーズのKUMIKI LIVINGは、陸前高田のスギを使った集成材、地元の福祉作業所で治具からつくった「木ネジ」、宮城県の栗原市の会社がつくったサクラ材のジョイントを使い、また、パッキングも木ネジと同じ福祉作業所で行うなど、被災地における仕事の創出や地元材の有効活用に貢献しています。
「都会では、孤独や不安感を感じている人が多い。自分自身もそうだった。そして、都会だけでなく地域でも孤独を感じている人が多いことを最近知るようになった。だから、僕らはKUMIKIが持つ、人と人をつなぐという役割を一番大切に考えている。KUMIKIが、人と人、人と自然をつなぎ、社会が抱える孤独や不安という課題の解決に役立って、いい塩梅で居心地のいい世の中をつくることにつながったらいいなあと思う。」 そう語る桑原さんの言葉には、被災地で始まったKUMIKIプロジェクトが、被災地のためだけではなく、自分のためであり、また、同じように感じる人すべてのために敷衍していく可能性を感じます。
2014年2月には、石巻市でもKUMIKI HOUSEを使った集会所が、地元住民や東京から訪れた支援企業の社員など120名以上(2日間)が参加して組み立てられ、4月にお披露目しました。またひとつ、人をつなぐKUMIKIが使う人みんなの手で組み立てられて、地域の人たちに開かれたのです。
石巻での集会所建設の様子
KUMIKIプロジェクトでは、今後も各地でワークショップを行い、木材キットを使って、自分の手で自由に家具や建物を組み立てるワクワク感や、みんなで一緒につくることの楽しさを体験してもらうこと、自分の暮らしを自分の手でつくっていくことの豊かさを伝えようと取り組んでいます。
僕は、人とつながっていたい、と言うわりに、人と深い関係になるのは結構苦手なんです。震災後、復興支援事業の仕事で東京から陸前高田に入ったんですが、地域の人とどこまで深く関わったらよいのか判らずに迷うことがありました。でも、同じように東京から来た人の中でも、地域にすーっと入って行けて、ごく自然に信頼関係を築ける人も居て、そういうのがすごく羨ましくて……。
陸前高田に会社をつくるとき、僕は考えた末に、会社は高田、住まいは小田原というスタイルを選択しました。大変になるかもしれないけれど、高田に移住しないで関わり続けるやり方もあるはずだと思ったんです。心地よい距離を探して関わリ続けること、移住するかしないかと白黒をつけるのじゃなく、中間の曖昧な部分がもっとあっても良いなあと思う。やわらかい生き方とか、暮らしの自由度を上げるようなことは、すごく大切なことだと思っています。中間とか曖昧なものがない世の中は、僕は嫌ですね。
今、僕自身も含めて、孤独感を感じている人は多いと思います。誰かとつながりたいけどつながれていない、悩んだ時に相談できる人がいないという不安。僕自身が不得手だと感じてきたからこそ、人と人とのつながりをつくろうとする場にKUMIKIがあるといい。KUMIKIプロジェクトは、被災地のためにというのではなく、自分のためでもあるし、また、同じように感じている人達みんなのためになればいいなと思って頑張っています。
(記事掲載月:2014年5月)