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あの人の森は?
伝えたい、森の今:第八回インタビュー:工藤 孝一さん

あの人の森は?

伝えたい、森の今

第八回インタビュー:工藤 孝一さん(長野県佐久市) 「Iターン森林組合職員からNPO起業へ 現・地元への熱い想い」

聞き手・文:赤堀 楠雄(林材ライター)

脱都会で軽井沢へ、そして林業との出会い

私はもともと愛知県豊橋市の生まれなんですが、専門学校時代や社会人になってしばらくの間は千葉や東京で過ごしていました。ところが仕事を始めて5年くらい経ったときに人だらけ、建物だらけ、車だらけの都会が嫌になっちゃったんです。もう、ちょっとしたことでもイライラするんですよ。これはダメだなと思って、25歳のころに軽井沢に引っ越しました。なぜ軽井沢かというのは、ちょうどそのころ流行ってた漫画の『軽井沢シンドローム』に憧れていたってこともあったんですけどね。とにかく自然の中がいいだろうと思って、まずは住む場所を変えたわけです。

軽井沢では最初に何でも屋をやり、それから電機メーカーの技術開発部に入って6〜7年勤めた後、自然の中で仕事をしたくなって、98年4月から佐久市の森林組合で働き始めました。たまたまハローワークで森林組合が技能職員を募集しているのを知って、そのころは林業がどういうものかはわからなかったんですが、山の中で汗をかいて肉体労働をするんだろうということだけは想像できた。山で仕事をして、おにぎりを食べたらうまいだろうなと思って、入ることにしたんです。実は94年に結婚して専業農家の工藤家に婿入りしてたので、本当は農業をしなければいけなかったんですけどね。

 

ただ、森林組合に入ったはいいけど、最初はろくな仕事をやらせてもらえませんでした。私より数日前に入った男は現場に連れて行ってもらってるのに、私には決まった仕事が与えられず、毎朝「きょうは何をすればいいですか」と聞かなければならない。そんなことが3カ月くらい続いた後に、現場の作業班に入ったんですけど、今度は仕事の仕方とかでいろいろとおかしいところが目につくんですよ。現場に連れていかれて「ここの間伐をやってくれ。3割くらい伐っといて」みたいな感じで、図面も見せてもらえないし、だいたいそこが国有林なのか民有林なのかも教えてもらえない。もっとこうしたらいいんじゃないかと指摘すると、嫌がられたりしましてね。作業班の班長さんたちとか、みんな良い人なんだけど、変えようという意識がそもそもないんですよね。

森林の公益性を知ってもらい、森と人をつなぎたい、という思いでNPO法人を設立

結局、森林組合は2001年の12月いっぱいで退職し、翌年の1月に『NPO法人信州そまびとクラブ』を立ち上げました。実はその1年くらい前に近隣の森林組合に務めていたIターン者が、少し横のつながりを作ろうじゃないかということで5人くらい集まったことがあったんです。結局、愚痴の言い合いになっちゃったんですが、どこの組織も同じで、現場の人間の言うことはあまり聞き入れてもらえないというのがわかって、だったら、自分たちでやってみようという話になった。ちょうどそのころ、岐阜で林業専業のNPOとして ウッズマンワークショップ が立ち上がっていて、代表の水野雅夫さんがわれわれの会合に来てくれたんですよ。そんなお手本もあったから、とにかくやって見せるのが手っ取り早いだろうと。あのときは行け行けでしたね。

信州そまびとクラブは純粋な林業事業体として立ち上げたわけではなくて、森林の公益性について、いろんな人に知ってもらうための活動を目的にしています。もちろん、林業の現場作業もやりますが、それは食いぶちを稼ぐための仕事であり、事業としては、森林と一般の人たちを結び付ける活動をやろうと、強く思っていました。なんでそんなことを考えるようになったかといえば、実際に自分で木を伐ってみて、あまりにも気持ちがよかったからだと思います。森の中で汗をかいて、一服してのんびりするときの気持ちよさは、都会にいてイライラしているのとは全然違います。やっぱり癒されるんですよね。まさに森林セラピーというものを私自身が実感していたのだと思います。山にいると自然でいられるというのかな。やっぱり人間て、サルと同じなんですよ。私は今は東京なんて絶対に住めません。

それと、林業を立て直すには、一般の人に山や森にもっと意識を向けてもらう必要があるんです。そうやって木を身近に感じて、使いたいと思うような人が増えないと、結局、林業は成り立ちません。これは信州そまびとクラブを始めて、いろいろな人と話すようになってから、はっきりと思うようになったことなんですが、こうしたことにもっと本腰を入れていこうと強く意識するようになりました。

 

『信州そまびとクラブ』設立趣旨書より抜粋

  1. 林業の当事者として、木材自給率を高めることの重要性を広く人々に知らしめ。
  2. 森林と関わろうとするすべての人々に、林業従事者でなければできない支援を行い。
  3. 自ら、森林の整備育成を行うことにより、 新たな森林の活用方法と施業技術の開発に取り組み。
  4. それらを通じて、山林労働者の社会的地位の向上にも寄与する。

山づくりは地域づくりから、そして徹底的に地元に根付くことから

もうひとつ、私の中で強い思いとしてあるのは、山や木がある生活が当たり前だと思える社会にするために、まず自分が住んでいるこの地域を変えたいということです。信州そまびとクラブを立ち上げたとき、最初の半年くらいは、どうしたら山がよくなるのか、林業がよくなるのかということを考えてばかりいました。一生懸命、考えに考えた結果、出てきた答が「山づくりは地域づくりから、地域づくりは人づくりから」ということだったんです。山の必要性とか、木を使うことの重要性とかをわかってもらえるようにするためには、まずそこに住んでいる人間が変わらないとダメなんです。ごく当たり前の日常として、子どもたちが山に遊びに行く、家を建てるときには裏山から木を伐り出す。そんなことが普通のことにならなければいけないんです。

佐久バルーンフェスティバルにボランティアとして参加するのは10年以上。じゃあどうすればいいのか。非常に遠回りな話かもしれませんけど、私が思ったのは、自分が暮らす地域に徹底的になじむことから始めようということでした。私が住んでいる地区は「竹田」というんですけど、「竹田の工藤が山で仕事をしてるようだけど、あいつがやってるんだから、オレも山菜を採るついでに山に行ってみようかな」と思ってもらえるようになりたい。その思いは今に至るまで一貫していて、だから、地域のありとあらゆる役をやりまくっています。田舎っていろんな役回りがあるんですけど、とにかくそれをやる。いまやっているのは小学校のPTA会長、消防団の班長、交通安全協会の支部の青年部長、農業関係の交付金に関する役員などで、このほかにもいろんなことをやってきています。月間のスケジュール表で、何も書かれていない日はほとんどありません。

 

残念ながら、こうやっていろいろと役をやってみると、ヤル気がない人が多いということに失望することがあります。そういう人たちは山への関心も本当に薄い。だけど一方で、地元の人たちに一緒に森づくりをやりませんかと呼び掛けると、意外に集まってくれるから、手ごたえも感じてはいます。それにこの地域には私みたいな変なやつも何人かいて、そういう連中は活発に動いていてとても魅力的です。そんな仲間との付き合いが深まっていて、私は自分が住んでいるこの地域が大好きなんです。これからは普段の仕事は農業を中心にやっていきますが、冬場の農業ができなくなるころは山にも入る。そうやって地域に根差した暮らしや活動を続けていきたいと思っています。

 

プロフィール

工藤 孝一|くどう こういち

1965年生まれ。愛知県豊橋市出身。地元の高校を卒業後、千葉県の専門学校で飛行機の整備を2年間にわたって学ぶ。卒業後は中古車の販売や学生時代に奨学生として携わった新聞販売店の手伝い、電子部品工場の技術者などを経て、1991年4月に軽井沢に移住。何でも屋の手伝い、電気メーカーを経て、98年4月から佐久森林組合の技術職員。
2001年12月に森林組合を退職し、2002年1月に信州そまびとクラブを設立。「頼まれたら嫌とは言えない性格」で、設立以来、理事長を務めている。2010年からはカーネーション栽培農家である婿入り先の工藤家の跡取り(8代目)として、本格的に農業に従事。義父の光吉(てるよし)さん、妻の文恵(ふみえ)さん、小学校6年生で双子の姉弟である百合乃(ゆりの)さんと俊平(しゅんぺい)君との5人暮らし。

NPO法人 信州そまびとクラブNPO法人 信州そまびとクラブ

工藤 孝一|くどう こういち
 
 

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