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木地屋幻想 紀伊の森の漂泊民

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木地屋幻想 紀伊の森の漂泊民

著者:桐村英一郎
出版:七月社
価格:2,200円

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木地屋幻想 紀伊の森の漂泊民
 

山岳民伝説を追う、静かなるトレジャーハンティング

木地屋、ということばをご存知でしょうか? 本書によると木地屋とは、 “すなわちトチ、ブナ、ケヤキ、ミズメといった木を刳り抜いて椀や盆、杓子などを作った職人だ。一か所に定住せず、良木を求めて家族や小グループで移動した。”と定義されています。以前紹介した宮本常一つねいち『山に生きる人びと』にも出てきた山岳民の一つで、木地師とも呼ぶようです。

さらに第一話「小椋谷おぐらだに再訪」では木地屋に関する基本情報がまとめられています。これがなかなか面白くて、例示すると、

  1. 全国の木地師や木地屋のふるさとは東近江市奥永源寺地区の小椋谷にある、君ヶ畑きみがはた蛭谷ひるたにという村だとされていること。
  2. 平安時代前期、文徳天皇もんとくてんのうの第一子・惟喬親王これたかしんのうが権力闘争に敗れ皇位継承を逃し、命からがら逃れてこの地に隠棲し、「手挽きロクロ」の技術を発明し「木地屋の祖」と崇められるようになったという伝説。
  3. 近世になって、君ヶ畑や蛭谷が各地に「氏子狩(氏子駈)」を派遣し、各地の木地屋のもとを巡り、氏子料、初穂料など、なんのかんのと名目をつけて金銭を集めたということ。その集金台帳が現存すること。
  4. 木地屋の由緒を示しどこでも通行して良いというお墨付きを与える天皇の綸旨りんじ、時の有力者の免許状、往来手形などの、いわば「パスポート」「戸籍謄本」というべきものが実際に存在し使われていたこと。

という具合です。史実の部分と、そうではない部分が絶妙にブレンドされていて、読んでいるだけでワクワクします。

現代の日本の感覚では、漂泊の民が山から山へ渡り歩いて木を切り里の人からすると「見慣れないよそものが裏山で勝手に木を切っている」という異常事態のように思えるけれど、そもそも定住民と漂泊民が混在した世の中では別に珍しいことでもなかったのかもしれない、などと想像力を刺激してくれます。

著者は三重県熊野市波田須町はだすちょうに住み、熊野や紀伊を中心に各地を訪ね歩き、そのエリアにも多くの木地屋がいたらしいこと、今に残るその痕跡を見つけ出します。各地に残る木地屋のにおいを求め、地名や建物跡、神社や祠、墓や石碑、そして木地屋の子孫らしき人、土地の歴史に詳しい人への取材で補っていき、静かなるトレジャーハンティングといった趣も楽しめます。

惟喬親王(55代文徳天皇の第一皇子)に限らず、大塔宮護良親王おおとうのみやもりよししんのう(96代後醍醐天皇の皇子)ら貴人流離譚が、やや混同気味に伝えられ、広まっていることなど、虚実皮膜の伝承が非常に興味深く、いずれ滋賀県から和歌山県にかけてじっくり訪ね歩いてみたくなります。

(編集部:たかしな)

<目次>
まえがき

第一話 小椋谷再訪──木地屋の心のふるさと
第二話 大皇神社──小倉姓で固める
第三話 ハナシの話──山を降り川辺に住む
第四話 移動の痕跡──近隣に同じ名を追う
第五話 先祖への想い──一族の墓を集めて祀る
第六話 十津川の「政所」──小辺路が通る山里で
第七話 俗説の真偽──山への視線
第八話 菊の紋章──決めつけは危ない
第九話 「善吉サイ」の墓──古座の奥山に生きた一族
第十話 『紀伊続風土記』は語る──旧牟婁郡の伝承
第十一話 各地の足跡──立派な位牌残し消える
第十二話 宇江氏インタビュー──失われたものへの哀惜
第十三話 黒江は今──「木地屋」があった

あとがき

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