山という異界に住む民をめぐるファンタジックな仮説
読み始めて引き込まれたのは「二 山民往来の道」。里は通らないで山中だけで遥か遠くまで行く知られざる道があるという話。カッタイ道と呼ばれるその道を使えば四国八十八ヶ所を回れるとか。また、秋田のマタギは山伝いの道だけ辿ってから大和の山中に行けるというのである。あくまでも「そういう話を聞いた」という伝聞ではあるものの、ちょっとファンタジックにさえ聞こえて興味をそそられる。
その話に始まって、作者である民俗学者・宮本常一は仮説を展開し、山中の民は平地の農民と別な世界に暮らしていたのではないかというのだ。山岳民と呼べるような人が実在したのかどうか定かではない。そう言いつつ、昭和36年8月に高知から大阪まで飛行機で飛んだ時に眼下に見た風景から推理を進めていくさまに興奮する。
そしてさらに「三 狩人」の描写。朝になって山へかえっていくシカに朝日があたって美しかったさまについて「それが畑の作物を食い荒らしてかえっていく引鹿の姿であったとしても農民には一幅の絵に見えたのである」「猟師たちは畑を荒らして山にかえり行く鹿の姿の美しさに、鉄砲をかまえることをあきらめたことがあるという」などの記述が出てくる。
このあたりで「やられたなあ!」と感じてすっかりこの本の魅力に引き込まれてしまった。ここまで読んでいまひとつピンと来ない方には無理におすすめしませんが、「なんだそれ? どういうことだ?」と気になった方はきっと楽しめるはず。
山中で水田を持たず狩猟をする人々、平家の落人伝説を持つ山の中の里、平地の権力者と血なまぐさい抗争を展開し、徹底的に鎮圧されてしまった人々、サンカと呼ばれる回遊民、ろくろを回し木工細工を手がける木地屋たち、鉄や銅を精錬する人々、建築のために材木を切り出す人々、海からやってきて船材を加工する人々……読み進めるほどに、この日本でも独自の文化を持った人々がいて、その人たちは意外にフットワーク軽く全国に足跡を残していることに驚く。
1964年出版の本なので、ここに書かれた推論は今も通用するとは限らない。けれど、だからこそ、山岳民の名残があちこちに見て取れるのだろう。かつて日本にあった、そして今もどこかに伝わる、多様な文化に思いを馳せると同時に、その多様さを取り戻すにはどうすればいいだろうと考えずにいられない。
(編集部:たかしな)
<目次>
一 塩の道
二 山民往来の道
三 狩人
四 山の信仰
五 サンカの終焉
六 杣から大工へ
七 木地屋の発生
八 木地屋の生活
九 杓子・鍬柄
一〇 九州山中の落人村
一一 天竜山中の落人村
一二 中国山中の鉄山労働者
一三 鉄山師
一四 炭焼き
一五 杣と木挽
一六 山地交通のにない手
一七 山から里へ
一八 民間仏教と山間文化
附録 山と人間
一 山中の畑作民
二 畑作民と狩猟
三 狩猟・漁撈・籠作り・造船
四 木工民
五 山岳民エネルギーの去勢