「身体」を忘れた日本人
JAPANESE, AND THE LOSS OF PHYSICAL SENSES
養老孟司 × C.W.ニコル、 青山聖子 (聞き手)
出版社:山と渓谷社
(中古品で購入可)
なるほど!日本人の「在り方」と自然との関係
本書は、自然と深く関わりあって生きる術を知るC.W.ニコルさん、多様な角度からヒトという生物の謎に向かう養老孟司さんのお二人の対談をまとめたもの。日頃から自然の近くに身を置き、生物への尽きない興味を分かち合うお二人の対談は、いろいろなテーマを縦横無尽に横断して、知的な刺激に満ちています。
読み始めからずっと面白いので、どこを取り上げて良いのか迷いますが、本書のタイトルに興味を引かれた方には、第五章からはじまる「五感のこと、意識のこと」が面白いはず。現代日本人の五感が退化してきた?と感じているのは、私だけではないと思いますが、養老さんは、「感覚」は既に知っている情報と「違うこと」を識別するための機能であり、「意識」は逆に、あれとそれは「同じ」と概念化するために働いているといいます。なるほど。・・と、いうことは、小さな不都合も既知の物事と「同じ」と意識することで楽に構えていられる、あれは「意識」の進化であると同時に「感覚」の退化なのか。
興味深い話題は、さらに「言語」の発達へと続きます。「意識」は「同じ仲間探し」を目指すので「言語」の形成に向かいやすいが、何故か日本語は「感覚的」である。日本語には「チョッキリゾウムシ」のような擬音・擬態語が例外的に多く、英語などと比較して「感覚的」な特徴を多く残しているのだという。それには当然ながら古来からの自然信仰、八百万の神を信仰してきたことが背景にあるとすれば、すっきりと明快でただ頷くばかりです。
人が現代を生きるためには「感覚と意識」の双方がバランス良く必要だけれど、「感覚」は身体を使って自然と触れることで磨かれ、都市生活では「意識化」が進みやすい。だから森に出かけないといかんのです、やっぱり。
(編集部:あかいけ)