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あの人の森は?
あの人の“森”語り:小倉 美恵子さん

あの人の森は?

あの人の“森”語り

オオカミの護符をたどる旅から、自然と生きる日本人の知恵へ 第二十三回ゲスト 小倉 美恵子さん

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川崎市土橋村の原風景

私は東急田園都市線沿線の住宅街に暮らしていますが、昭和38(1963)年に生まれた頃の川崎市土橋村は50戸ほどの農村でした。かやぶき屋根の家に三世代が暮らし、中学生になる頃まで薪でご飯を炊き、お風呂を沸かす生活をしていました。多摩丘陵の起伏が作る「谷戸(やと)」と呼ばれる土地は平地が少なく、畑作がメインで、タケノコの収穫を稼ぎとしてきた村でした。祖父や祖母に連れられて、くず(落ち葉)掃きや薪を採りに山へ通っていました。

小倉さんの旧家と間取り図

子どもたちは山(森)に入るのが一番の楽しみで、何でも採っては食べていました。野イチゴや桑の実やアケビ、山栗やドングリを拾い、川では沢ガニやドジョウを獲ってね。弟や幼馴染と一緒に走り回っていました。土橋神社のお祭りも楽しみでしたね。幼い頃は、月に一度「満月の夜」に巡って来る念仏講がそれぞれの家を順番に回ってきました。これによって互いの家のようすが分かるので、出産とか病気の人が出た家には、村の祭事や仕事などは都合してあげる、といった具合でした。村八分という言葉、今は疎外、あるいは絶交といった意味で使われがちだけど、本来は、火事と葬式の「二分」はつき合っていたんですよね。

左:土橋神社、右:近くの竹林の様子

高度成長期「村から街へ」の変貌を目の当たりに

戦後日本のターニングポイントとされる先のオリンピックが行われた昭和39(1964)年から、今年はちょうど60年。私は「東京還暦」あるいは「首都圏還暦」と呼んでいます。高度経済成長期を迎えた東京には、全国各地から人々が職を求めて流入し、住宅を確保するために、近郊の丘陵地は大規模な宅地開発が行われました。かやぶき屋根の家が点在した土橋村にも、何台ものブルドーザーが投入されて唸りを上げ、親しみ深い山が切り崩され、その土を運び出すためにダンプカーが昼夜を問わず走り回っていました。幼い私にとって、それは許し難い大事件でした。私は工事現場で働く人に敵意を抱き、規制線をくぐり抜けて、ブルドーザーに「やめろ」と泣きながら叫んだことを覚えています。でも、どうすることもできなかった。そうして、土はアスファルトに覆われ、故郷の村は昔とは全然違う姿になっていきました。

川崎市旧土橋村の当時の様子を描いたスケッチ。

アスファルトの下に埋もれてしまった「土地の記憶」を現代に活かす映画づくり

大学卒業後に都会へ出て働き始め、アジアの留学生を受け入れるアジア21世紀奨学財団の職員をしていました。彼らに日本を深く知ってもらうために、民俗学者の宮本常一さんと関わる民族文化映像研究所(民映研)所長の姫田忠義さんをお招きして、留学生と一緒に話を聞きました。さらに実際にアイヌの集落(コタン)、水俣、熊野、広島山陰、東北各地で民泊するツアーを毎年続ける中で、私は日本のことを本当に何も知らないし、文化的な芯を見失っていたことに気づかされたんです。

小倉家に残された「一枚の畑」を見守る護符

アスファルトの上がどんどん東京化されていく中で、「アスファルトの下」を知る者が何も伝えずにいたら、都市のアスファルトの下に埋もれた記憶は誰も気がつかぬまま消えて行ってしまう…。何とかして伝えておかなきゃいけないんじゃないか、という一心で、最初は土橋に残る念仏講とかを片っ端から自分で映像に記録し始めました。そんな時、わが家の古い土蔵の扉に貼られた「一枚の護符」が私の目に映り込んできました。護符の力に導かれるように、勤めが休みになる週末を利用して、村で百姓をしてきた古老を訪ねては話を聞き、伝統行事の様子をカメラに収め続けました。たった一人で始めた作業でしたが、やがて当時民映研にいた由井英さんと「ささらプロダクション」設立し、1作目の映画『オオカミの護符 里びとと山びとのあわいに』製作への道が開けていくことになります。

取材を通して青梅や関東山地一帯では、昭和50年代まで焼畑を行っていたことも初めて知りました。焼いた場所に種をまいて大豆などを収穫するのですが、イノシシやシカが出てきて食べちゃう。そこにオオカミが吠えれば一斉に逃げるので、オオカミは非常にありがたい存在でした。山の民はイノシシ、シカ、カモシカなどは「シシ=肉」とも呼び、食べていたといいますが、オオカミは他の動物とは違う神様だから食べないというのです。
平地の百姓は、山の民との交流によって、同じシンボルを共有し、多摩川を通じて、上流域のオオカミを祀る御嶽山に繋がっていることがわかってきました。

村の生活を掘り下げた第2作『うつし世の静寂(しじま)に』

「オオカミの護符」は平地の村から山へ詣でる「講」の姿を描きましたが、村の中での「風土と人のくらし」をつなぐ基盤となる「講」の姿を掘り下げたのが、第2作「うつし世の静寂(しじま)に」です。
私は生まれ育った多摩丘陵にこだわりがあったので、土橋村や近隣地域の念仏講や巡り地蔵の習俗を記録し、それらを育んできた谷戸の棚田や鎮守の杜を、さま変わりする暮らしの中で守ってきた思いを古老に聞きました。最後のシーンでは、明治期の神仏合祀令で地元の社を失った初山獅子舞が、約百年ぶりに本来奉納すべき鎮守の杜で演じられる様子も映像を収めています。

人体寸法=自分の心と体を乗せることのできる規模が「ふるさと」の感覚

ふるさとって、身の回りの道具のような小さな単位から、建物や風景にいたるまで、身の丈の寸法=身体感覚にもとづく身体寸法でつながっています。それは不思議と「馴染む」。例えば畑に植える作物の幅も家のつくりも人の手足の寸法で測るため、人によって違うのです。しかし、なぜかそれが風土に馴染む。それが人の心に染み入る「ふるさとの風景」に宿された秘密の一つではないでしょうか。やはり、人には心と体を養うにふさわしい規模があるのだろうと思います。

信州諏訪大社の縁起物語から始まる第3作『ものがたりをめぐる物語』

「昔にもどりたいわけではない。さりとて、このまま進みたくはない。」
これが『ものがたりをめぐる物語』のキャッチフレーズです。信州は由井英監督の故郷なんです。彼は「ものがたり」に強い関心を持っていて、これからの科学・技術を考える上で、「ものがたり」には大きな意味があると考えているのです。人類は自然界にあるものと長いこと対話を続け、「ものがたり」という形で時を超えて大切なエッセンスを伝えようとしてきましたが、彼は、故郷に伝わる諏訪大社の縁起物語である「甲賀三郎伝説」を題材にして、「ものがたり」の可能性を映画の中で見せようとチャレンジしています。

東日本大震災がつないだ諏訪と三陸の「ものがたり」

川崎をはじめ、首都圏で住宅開発が進んでいた頃、諏訪では観光開発が、陸前高田では広田湾の埋め立て問題が起こりました。原発の建設もその流れの中にあると言えますが、映画で登場する3つの地域をつなぐのは「1970年代とは、日本列島にとってどのような時代だったのか」という視点です。その時代を表すために、当時の記録映像も使いました。
陸前高田や諏訪は、地元の人たちの力によって、開発計画が覆された数少ない例として知っていただきたいと思いました。漁師や漁師を支えた町の人々はなぜ踏ん張ることができたのか。また、諏訪では、諏訪信仰の大切な場所である旧御射山社の敷地をビーナスラインの開発から守り抜いた。そこに「ものがたり」の存在がというものがあったと思うのです。
漁師や猟師も含め、海・山・川に生きる百姓が持っている智慧は、科学的なアプローチだけでは表現できないのではないか、そしてこれは、アジアの人々と底流でつながる道でもあると思っています。水俣や、陸前高田で学んだ「地元学」という方法も一つの手がかりになるんじゃないかという気がしています。

「ものがたりをめぐる物語」という映画は「答えのないことに耐えていく」ことを考える映画だと思っています。観てくださった皆さんが、今の時代状況の中で、答えが分からないながらも何かを感じ、いろいろなことを語り合うためのたたき台にしてほしい。分からない事を知識で埋めて解決を急ぐのでなく、苦しいけれど向き合っていく。その時に自然と付き合うことで、人間の科学技術ではまだ”分からないもの”を感じることが、異なる「道」を示してくれるのではないかと思うんです。

真ん中に"空"(見えないもの)を置くことでつながる

いま、新たに「コミュニティ」を求めてさまざまな議論や試みが生まれていますが、古来日本では「円座」というかたちで寄り合いを行い、ものごとを決める方法が取られてきました。私が幼い頃の念仏講もそうでした。円座という形に宿る意味は極めて深くて、円座することで上下関係がなくなり、真ん中に空間ができます。この空間には先祖や神仏が宿ると考えられていました。つまり、円座には人間だけが集うのではなく、神や仏、さらに言えば風土といってもいい、縦のつながりのようなものを真ん中に置くことによって、人が分け隔てなく集える「神人共食」の構造を持っていました。さまざまな講の寄り合いや盆踊りにも同じ構造がみられます。「真ん中に"空"(見えないもの)を置くことでつながる」構造が、自立する生命体としての村落を支えていたと考えています。各地で無数にしかも自発的に行われてきた「講」とは、日本列島の細胞のようなものだったと私は考えています。
先に「東京還暦」と言いましたが、これまでの60年は「直線的な思考」で進んできたように思います。いみじくも「還暦」というのは、「円環」の世界観を思わせてくれます。直線的な進歩を続けてきた東京だからこそ、「円環」の世界観を新たに取り込んでいくために、ささやかながら試みを続けたいと考えています。

プロフィール

小倉美惠子(おぐら みえこ)

ささらプロダクション代表、作家・映画プロデューサー。

1963 (昭和38) 年、神奈川県川崎市宮前区土橋生れ。アジア21世紀奨学財団、ヒューマンルネッサンス研究所勤務を経て、2006 (平成18) 年に(株)ささらプロダクションを設立。
2008年、映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、地球環境映像祭アース・ビジョン賞を受賞。2010年「うつし世の静寂(しじま)に」公開、2022年「ものがたりをめぐる物語」公開。
ミシマ社より「ミシマガ大賞」、川崎市より「川崎市文化賞」を受賞。

 

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