山梨県北杜氏白州町にある「五風十雨農場」は、森と田畑が広がる美しい里山ですが、水路や道路などのコンクリート開発による"水脈の滞り"と、それによる弊害が随所に見られます。今やこのことは、日本の里山のどこにでも見られる問題だとも言えます。そこで、この里山の風土自然を再生しようと、造園技師、NPO法人杜の会 副理事長の矢野智徳さんを講師に招いた「大地の再生講座」が開催されることになりました。ここでは、開催に先立って行われたプレ講座での矢野さんのお話とフィールドワークの様子をご紹介します。
「風」と「水」と「光」の動線を軸に「人」の動線を加えて自然環境を読み、その中でも特に「大地の血管である水脈」と「空気」に着目して、全国各地で環境整備・自然治療を十数年にわたり実践してきた矢野さん。今や日本は、コンクリート開発によって都市は通気不良空間と化し、全国に泥水汚染が広がっているのだそうです。なぜそうなったのでしょうか。矢野さんに伺いました。
矢野「造園業の現場で、木や草花が枯れていく。水涸れでもなく肥料の問題も無いのに急速に枯れていくという現象が見られ、その原因を誰に聞いても答が返って来ない。自分で試行錯誤するうちに、うねを高くしたり溝を深くしたりして空気が動きやすい状態をつくってやると、スーッと水が動くというのが分かって来ました。
ホースの中の水と空気のように、土の中の水も空気が動けば動くんです。それに気づいてからは、空気をいかに通せばいいかを追求し、「空気がよく通れば泥水が出ない」という現象が見えてきました。土の中の空気の通りが悪いと水はスムーズに流れず、泥水が出る。泥水が消えれば通気性が、空気の動きがプラスに転じている。泥水は、見えない空気を読むための大事なヒント、バロメーターになりました。
泥水を手がかりに見ていくと、庭で起きていることと同じことが山の中でも起きています。かつては清流だったエリアにも泥水が発生している。なぜそうなったかと言えば、砂防ダムやコンクリート護岸が水脈を詰めて、空気の流れを止めているからなんです。」
本来、日本国土は清流域でした。雨が降ってもきれいな水の湧き出る流域がほとんどだったのに、ここ20〜30年の国土開発によって泥水汚染の広がる流域に変貌しています。
具体的にはどのような現象が起きているのでしょうか。
立ち枯れた神社の奥宮の林
矢野「ある時、熊野古道の一角にある神社で、山の頂上の森が忽然と枯れ始めたから診て欲しいと言われ、頂上まで登ってみました。枯れた森の表土がどんな状態か、移植ゴテで掘ってみたらドブ臭かったんです。こんな奥山の頂上で有機ガスが発生するなんてあり得ないから、これはきっと谷が詰まっているなと思ったわけです。で、谷を調べたら、ものすごい崩壊の谷で、谷筋から川を追うと流域全部が傷んでいて、9km先にダムがあった。大規模な土砂崩壊と流域河川の浸食、本流ダムの土砂埋没、流域の泥水汚染という、まるで人間の動脈硬化のような実態でした。
また、団地の開発をしている周辺でも、軒並みマツが枯れている光景を目にすることが多いです。マツノザイセンチュウによるマツ枯れですが、多分その裏で起きているのは、抵抗力の低下なんです。健全な森の環境の時には、害虫をある程度の量で止めるだけの抵抗力を木が備えていたのに、呼吸不良を起こすような環境になったために、体力も低下し、害虫に対抗できるだけの力を失い、枯れてしまう…。そこで通気改善をすると、植物たちが回復してくる。マツも途中から枯れなくなります。
本来、土壌環境は、空気や水が円滑に通る隙間のある「団粒構造」をしています。それがコンクリートによってつぶされ、雨が降るたびに少しずつ団粒構造が壊されて、空気が停滞するような環境が生まれてくると、水も停滞し、隙間はあるのに空気や水が動かないために呼吸できないような環境が広がってきます。
それに対して、例えば、小さな場所で、詰まっている部分のコンクリートと石を取ってやるとスーッと泥水がその場所だけ消える。そんな改善作業をやると、待ってましたとばかりに息を吹き返してくる。それが現実です。」
矢野「沖縄県国頭村、ヤンバル地域では、農地の赤土流出が問題となり、県庁の有志の人達からの依頼によって10年がかりで農地の改善に取り組みました。自然豊かなヤンバルで行われた開発(ダム建設や港湾、道路、コンクリート護岸の建設)に伴って、赤土の泥水が頻発するようになり、収穫量の低下を招いていた。そこで、開発農地の一部の敷地で、パワーショベルで深さ1m弱の素堀側溝をとり、この部分から滞った空気を入れ替えてやることによって、結果的に表層の雨水の浸透を回復し、停滞水を解消し、作物の根の周辺の水と空気の動き(呼吸)を改善する、通気改善作業を行いました。
毎月行っていると、手を入れたことに対する自然や生き物の反応が手に取るように見えてきます。空気の通りが良くなると、大地の呼吸が始まり、自然と団粒化が進み、水はけが良くなって赤土が流れなくなる。赤土が溜まっていた土地に青々と草が茂り、風景ががらりと変わる。農作物が元気を吹き返す。
そして、天然の河川(水脈)は、1日4回の潮の干満の反復で、水と空気の流れの状態を変え、植物の根域(根が絨毯のように広がっている深さ1、2mのエリア)を通して森にも影響してくるということまで、歴然と見えてきました。」
では、ここ白州では、どんなことが起きているのか。矢野さんに率いられ、フィールドワークを行いました。
矢野「白州町近辺でも、河川に造られたコンクリートの壁によって水や空気の通り道がふさがれ、水も空気も停滞。土砂が流れ込んで溜まってしまい、その下のほうに水と一緒にドブ臭い有機ガスがたまる。やがて有機ガスは水脈を逆流し、斜面を上がって行き、木の根が呼吸困難に陥るような現象が、あちこちで観られます。
コンクリート化された周辺がどういう状態になっているか。土地の水持ち、植物の状態や種類などを観ていくと、より具体的に水脈との関連が見えてきます。そして、この農場の敷地の中だけで水脈を整備しても、なかなか白州全体の環境問題は解決しません。まずはこの敷地内だけでも健全にしようとするなら、水脈がここだけで独立したような環境にする必要があります。空気と水の循環がここで一つ完結するという形、これを "縁を切る" と言います。」
矢野さんが行う里山整備は、基本的に次のようなステップで進めます。
そこ(空間や場)にある自然物、人工物がどんな風に置かれているか。
風・水・光に「人」を加えた4つのファクターを中心にそれぞれの動線をチェックし、そのバランスを保つメンテナンスを行う。
地形、動・植生、および大地の血管である「水脈」を読み、自然の地形に合わせた土地造成を行う。
現地の自然素材(木の枝、葉、石など)を使って、円滑に流れる水脈、泥水を出さない「等速水脈」を整備する。また、水脈に対して、例えば合流点など「ツボ」に当たるような場所に通気穴を点在させていく。
大地の傷口のような裸地を、現地の自然素材(腐葉土、炭、下草、砂、砂利、etc.)を使ってカバーし、回復させる。
矢野「ここまでの基本整備の上に、里山農業としての農産物生産利用や、農産物と共存できるような雑草・雑木類を活かした草刈・剪定、自然の水脈に沿った水道の整備などを行います。
こうした整備を一度で終わらせるのではなく、その場と対話していくような有機的なメンテナンスをコンスタントに持続していくことで、里山が本来持っている姿へと自然に再生し変化していくのです。」
敷地周辺に張り巡らされたコンクリートのU字溝。このU字溝の重みや機密性のために、周囲の地面の空気や、浸透した土の中の雨水は、ほとんど湧き出すことができない。このことが、土の中の空気や水の停滞を招き、地面の硬化や周辺植物の根の呼吸の低下をもたらしている。
田んぼに残されたイノシシの足跡。イノシシがミミズなどの餌を求めて掘り返し、ガス溜まりを解消してくれる。
笹、ツルなど、本来は水際には居ないはずの植物が、側溝の水際まで水を求めてなだれ込んで来る。(この植物たちに合った通気環境)
地上の風通しの悪い状態(やぶ化)は、土の中の風通しの悪さ(通気不良)と呼応している。
空気がよく通っていれば、好気性バクテリアと嫌気性バクテリアがバランス良く存在する。が、空気が通らなくなると嫌気性バクテリアが多くなり、腐葉土がとけるように分解され、下草も消えていく。広葉樹林であっても、腐葉土も下草もないという現象も。
表層の腐葉土が失われ、下草が枯れ、斜面がどんどん乾燥していく。これが進むと、強い雨で浸食、崩壊していく。
土中で、他の根に比べて極端に長く伸びた「あばれ根」は、木が競い合ってがんばっている状態。命を削って成長してしまうと、急速に滅びる。空気を適切に送り込むと、毛細根が発達し、程よいゆるやかな成長になる。木は互いに支えあって共生して行くようになる。
ヒノキの下枝が枯れ、ツル植物がはびこっている。ツルは、根においてもヒノキにからまって地中に入っていき、ヒノキの根の衰退を補う役割も果たしている。ツルは刈るものと思われているが、裸地化が進んでいる場合は残したほうが良い場合もある。大事な問題点は、ヒノキがツルに負かされることではなく、ヒノキが衰退する元環境の問題改善にある。(対処療法ではなく根本治療の重要性)
「地面をえぐるような水の音は心地良くない。どこで聞いても気持ちの良い水音になったら整備は成功と言える。里山整備において、五感は貴重なバロメーター。」と矢野さん。
※動画は編集部が白州で記録した人工水路の水の音。
矢野「フィールドワークから見えて来たことは、この里山は、思った以上に疲弊して来ているということ。でも、今ならまだ間に合う。元の健全な状態に戻せます。こうした小さなエリアで起きていることが、大きなエリアの現状を教えてくれる。そして、小さな介入から大きな環境問題を改善していくことができるのです。
例えば、盆栽の松の木が、あの小さな空間の中で何百年も生き続けられるのは、植木鉢の底穴から土壌や根の構造を含めて管理しているからです。地面の上だけでなく下も含めて全部読み取って、丸ごと管理しているからこそ、持続可能な環境になります。 ミクロもマクロも、自然は相似形なのです。」
- 取材スタッフA
- 環境保全の要は「水脈整備」とする矢野さんのお話は、「なるほどー。そういう事だったのか!」の連続でした。大地の呼吸不良による深刻な弊害が広がっている今、移植ゴテ一つの小さな介入からでも大きな環境問題を改善していける。まだ何とかなる、自分にもできることがあると、想いを新たにしました。
植木鉢からヤンバルの森まで。矢野さんの風土再生、自然の根本治療が、もっと各地で実践されるように、広めていきたいと思います。
- 取材スタッフB
- 目からウロコ!な気づきがたくさんある、非常に興味深い講義でした。日本中で起きている泥水被害とコンクリート建造物との関係や、マツ枯れ病への多くの対策は対処療法でしかないという点など、聞けば腑に落ちることばかりです。
また、見えない土中で起きていることを人の体、五感で感じとれることに置き換えて説明してくださるのも、分かりやすく共感できました。ぜひワークショップにご参加ください!
(記事掲載月:2012年10月)