僕は東京の杉並生まれで、3歳から中学に入るまで府中で暮らし、中学の時から結婚するまで鎌倉に住んでいました。高度成長期の府中はまだ空き地だらけで、原っぱで虫取りができたし、鎌倉は今でこそお洒落になっているけど、当時は農村と漁村で、うちの裏はすぐ山でした。
その頃から父が、野尻湖の近くの森をちょっと切り開いた所に別荘というか小さな山小屋みたいなものを持っていたので、夏休みは家族みんなで森のなかで過ごしました。広葉樹の森には、クワガタもセミもキノコも鳥もいっぱいでした。当時、電話もテレビもないし、ラジオで高校野球を聞くぐらいで、買い物に行くときは林の中と田んぼを歩いて30分。あとはずっと自然の中を転がり回っていたようなもの。それが僕にとっての「森」の原体験なんだと思います。
大学は都心に行きたくて、二年浪人して早稲田の文学部に入りました。ただ本が好きだから文学部にして、かろうじて4年で卒業できたんですけど、遊んでばかりで就職活動をしなくてね。就職浪人だとあきらめていたら、朝日新聞の求人欄に「林材新聞」というのがあって何となく受けに行ったらすぐ内定。いつの間にか林材業界紙の記者になっていました。
偶然入ったのが木材の新聞社だった、ということなんですが……。今になって振り返ってみると、子ども時代の親からの影響もあるかもしれません。うちの母は、取り壊された小学校の木造校舎から木の机や椅子をもらって来たり、「これは無垢ね」「これは一枚板だけどこっちは張り物」なんて、「本物」にこだわりがありました。家を建てた時も床板はヒノキにこだわって、米ぬかとか牛乳でよく磨いていたし。気づかないうちに、「木」に対する刷り込みができていたのかもしれません。
林材新聞には11年いました。僕は東京本社で林野庁の担当をしていたので、マクロな話ばかりで業界全体的には詳しくなるんですけど、地方の現場になかなか行けない。現場の林業の当事者としての気持ちに食い込むような取材ができていないような実感がありました。だから、フリーランスになった時、ある先生と知り合ったのをきっかけに山仕事を習いに通うようになりました。
実際に自分で山仕事をすると、下刈りひとつでもプロのようにはいかないけれど、それまで何十回も下刈りの記事に書いた「夏は暑い」なんてワンフレーズが、全く違ったものになるんです。少しでも山に入ると、自分が見て判断して分かったと思ったことが、まだまだ小さなことなんじゃないか考えるようになる。瞬間、瞬間ですべて状況が変わっていくから、違ったものが現れることに対して謙虚でなきゃいけないという感覚が身につく。
山では、自分で一挙手一投足を工夫するというか、決まりきったパターンじゃない形で状況に合わせてやっていかないといけない。そこに面白さもあるんだけれども……。 自然を相手にする、生身のものを相手にするのって、全部そうですよね。
いま僕は、何かと何かの接点を持ったり、つながりがあったりすることにすごく関心があります。なぜ林材が好きかと言うと、やっぱり自然の素材というのはつながりができるんですよね。
生身のものを相手にする。森でも畑でもみんなそうですよね。人間はもちろんだし、木材だってガラスだってそう。無垢の木は傷つきやすいし、変な扱い方をしたら腐っちゃう。漆塗りのお椀をガチャガチャ洗ったらはげてしまう。だからこそ、一つ一つ、素材の特性をよく知って、どうすればそれがより良い働きをしてくれるか、壊れないように扱えるかと考えて分かっていく。
人間もそう。他者と自分が関わるということは、相手のバックグラウンドとかいろいろな事を理解して、関係性をつくっていくというのが根本にありますよね。相手はこういう人だから、「こうしたらちょっと怒っちゃうかな」とか「ここは気をつけてあげないといけないな」とか、思うじゃないですか。そういう風な思いやり方をしている時は、心がささくれだったりしないですよね。
林業や農業の現場もそうだと思います。いろいろな状況変化に対応していかないといけないというのは、シグナルを読み取る必要があるということ。そのなかで関係性が結ばれていく。自分が山の中に入って好きなことをやるんじゃなくて、山の環境変化や状況を踏まえた行動をせざるを得ませんよね。
木の良さって何だろう、なぜ木が良いんだろうと思う一つに、この関係性ということがあるんだと最近思います。例えば、よく学校の内装を木質化するとけんかが減るとか言いますよね。その理由を考えると、例えば 、子どもたちが 木の壁や床に傷をつけたらどういう結果が起きるかをじかに知ることができる。木は生身ですから。自分が起こした行動によって傷付いたり折れたりする対象、相手が、自分の周囲に存在する。そういう事を意識することによって、 いろんなものをいたわったり、 他者のことを考えられるようになるからなんじゃないかと僕は思うんです。
それからもう一つ、ここに来てから思うことですが、地域社会って農業と林業だけじゃなくて地産地消だけでもなくて、世界とのつながりもあるし、もっともっと多様になって行かなければならない。自然とか地域社会とか本質的なことのバランスを考える視野を持たなければならない。だけど、大人になってから「地域のこと考えろ!」とか言ってもなかなか難しい場合もある。
そう考えると、さっきの関係性のことにもつながるんだけど、やっぱり「教育」だなあと思うんです。いま大切なのは教育。子どもは10年教育すればお金をもらって消費を始める人になる。ある意味、すごく短期間に良い結果が得られる可能性のある投資ですよね。10年なんて林業に比べたらすごく短いですから(笑)。
1963年生まれ、東京都出身。大学卒業後、10年余にわたる林業・木材業界新聞社勤務を経て99年よりフリー・ライターとしての活動を開始。全国の森や林業地に赴き、常に当事者の立場を深く理解しようとする真摯な姿勢と確かな取材視点には定評があり、林業関係者からも信頼される林業・ 木材分野の専門ライターです。 2010年春からは長野県上田市在住。
●著書