僕は子どもの頃から東京の下町に住んでいましたが、両親が長野県出身の人で、小・中学校の夏休みはいつも母親の実家に行っていました。その家は山を持っていて、農業をやっているおじさんがいて、採ったスイカを川で冷やして食べたり、カマを持って山へ枝打ちしに行くおじさんについて行ったり……。
伯母さんが採ってくれた巨大マツタケ
「カサは開いてしまっているが、この大きさはすごい!!」
ブログ「readymade by いとうせいこう」より
田舎の家や周囲の人たちは、キノコ山がすごく好きで、しょっちゅう「俺が採った中で一番すごかったキノコは、」なんて自慢話をしていました。特にマツタケが彼らにとっては戦利品で、食べるためじゃなくて採るのが楽しみで。
山に入って、人のあまり通らない日陰で、松葉がほんの少し盛り上がっているのをぱっと払いのけると、でかいマツタケがドカンと出て来る。そういうのを都会っ子の僕は見つけられないんだけど、彼らにはわかる。傘が開く前の一番いいとこを採る、そのタイミングだってわかっている。しかも、そのキノコのありかを絶対教えない(笑)。たとえ親子でも秘密。一家に5人いたら5人が別々の山の情報を持っているんです、彼らは。
キノコ山には猿とかリスもいて、「あそこにリスが居るけど見えるか?」と言われても僕には見えないけど、おじさんや従兄弟には見えていました。彼らは毎日山に入って、ものすごい時間をかけていろんな認識を積み重ねてきて。そうじゃなきゃ見えない世界がある。それが悔しいというかもったいないというか、僕も彼らのような目になったらどういう森が見えるんだろうということに激しく好奇心があるんです。と同時に、そういう脳を持っている人達がどんどんいなくなるということに、危機感があります。
森は情報量が豊かですよね。都会の人はすごく情報量のある世界に生きていると思い込んでいるんだけど、実は非常に均質な情報にさらされているだけ。モノの見方が均一で、その中で群を抜こうとしている。逆に言うと、競争しているからみんな同じ見方しかできない。競争する気がなくて「おれはおれだ」と思っていたら、森の歩き方だって自分だけの道ができていくでしょ。踏みならされた道しか歩かない人には発見もないですよ。動物は寄って来ないし、キノコもないもの、そんなところに。
都会から電車で1、2時間行っただけで、情報の質が全く違う世界がある。その情報の質の差に、何か決定的な知恵とか、モノの見方の根本的なヒントがある気がします。
「GREEN FESTA」のウェブサイト
僕がパーソナリティを務める「GREEN FESTA」という文化放送の番組で、「間伐材をどうすればもっと消費できるだろう」というアイデアコンテストをやったことがあります。僕は、危機を乗り越えることが出来るのは人間の輝くアイデアだと思うんです。だけど、現代は消費ばかりが先行していて、循環型社会の理想とされている江戸時代のようなアイデアやユーモアが足りない。
ユーモアで切り抜けるとか、どん欲であることを徹底的に笑って利用するとか、画角を変えるってことが必要なんですよね。痛快なアイデアが出れば、「あの山の間伐材が欲しい!」と、みんながわれ先に買うようになるはずだから……。
長年、ベランダで植物生活を楽しんでいると、夏の水まきの量が変わってきたり、ここまで水をやらなかったら死んじゃうみたいな日が前より増えているのを実感します。亜熱帯種のほうが青々茂る確率が高くなってきて、寒冷地方にいる連中が調子悪かったり死滅したり……。年々そうなっていく。葉緑素が太陽光をすごく敏感に受け取って、地球温暖化の影響も受けるんでしょうね。
ちっちゃな鉢をみていると、そこから森や世界で起きていることに行き着くんです。
いとうせいこう
作家、クリエーター
1984年早稲田大学法学部卒業後、講談社『ホットドッグプレス』誌などの編集部を経て86年に退社。作家、クリエーターとして、活字/映像/舞台/音楽/ウェブなど、あらゆるジャンルに渡る幅広い表現活動を行っている。学生時代より舞台活動をはじめ、85年より演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。
『ホットドッグプレス』誌で企画した『業界くん物語』が話題に。その後、『ノーライフキング』『解体屋外伝』などの小説を発表、また、音楽家としてもジャパニーズヒップホップの先駆者として活躍し、カルチャーシーン全般に影響を与えた。
植物が好きで、都会に住みながら主にベランダで植物を楽しむ「ベランダー」としても知られ、講談社エッセイ賞を受賞した『ボタニカル・ライフ』、『自己流園芸ベランダ派』などの著作を発表。2006年より、園芸ライフスタイルマガジン『PLANTED』(毎日新聞社)の創刊編集長を務める。