私が育ったのは、武蔵野の雑木林がまだ残る東京・府中でした。週末になるとよく、父に山へ連れていかれました。渓流釣りや、神奈川県の早戸川国際マス釣場でマス釣りをした事などをよく覚えています。山へ行かないと今度は雑木林に連れていかれて、ブドウムシをとっていました。
ブドウムシというのは、マス釣りの餌になる虫です。ヤマブドウのツルがぷっくりふくれていて、ピッと切ると中からちっちゃいイモムシみたいなのが出て来てね。それを付けてマスの餌にするんですよ。そんな事が何より楽しかったですね。
ギンリョウソウ(銀竜草)
小学校高学年になると、塾の先生が大学の山岳部出身の人達で、何度か近郊の山に連れて行ってくれたりもしました。「薪割り、飯炊き、小屋掃除。みんなで、みんなで、やったっけ。」という山岳部の歌があって。それを今でも覚えているという。よっぽど印象に残ったんでしょうね。
山は私の原点なのだと思います。どこがどうというのではなく、単純に五感で感じて好き。そして、森に入って真っ白できれいなギンリョウソウ(銀竜草)に出会えると、それだけで幸せって。
あともう一つ、米軍基地の中にある銀行に勤務していた父のライフスタイルがアメリカ志向だったこともあり、1960〜70年代の豊かなアメリカの暮らしが憧れの世界だったんです。『上流社会』という映画に「ハイ・ソサイエティ」という歌が出て来ましたよね。あんな風に車があって、週末はハンティングに行って、クリスマスパーティがあって、というイメージ。アメリカへの憧れはその後もずっと続きましたね。
大学卒業後、一生仕事ができそう!と思って百貨店に就職。5年経って系列のシンクタンクに異動しました。ちょうどその頃、娘が生まれ、紙おむつの量のすごさから環境問題を考えるようになり、自主研究テーマとしてエコライフに取り組んで。百貨店業界としては初めての『百貨店人のためのエコロジーハンドブック』を制作。この頃から、環境やよりよい社会をつくるための勝手プロジェクトを企てるのが好きになったんですね。
その後、ザ・ボディショップに入社して7年間。自然派化粧品店の店頭を使った環境保護やフェアトレード、人権を守るキャンペーンなどをNPOと共同で行いました。1993年当時から環境報告書やステークホルダー・ダイアログなどを既に実践していた会社は、まだ少なかったのではないかしら……。
ザ・ボディショップを卒業して環境コンサルティングの会社に在籍していた2002年、「アメリカで今、新しいHealthy and Ecologicalなライフスタイルが生まれていて、それはロハスと言うんだ」と耳にし、ピン!と来た私は、すぐにロハス会議が開催されていたアメリカのボールダーへ飛びました。会議に参加したり主催者に取材する中で、これだわ!と強く感じて、帰国後に興奮気味で記事を書き、日本にロハス(LOHAS:Lifestyles Of Health And Sustainability)を紹介しました。2002年9月のことです。
その後しばらく別の仕事についていて、ロハスが日本でも有名になって来た2005年の夏休み。セカンドハウスのある八丈島で『アルケミスト』を読んでいて、突然「ロハスって、私の宝だったかも!」と閃きました。そして、改めてロハスの原点を見直すうち、このライフスタイルをつくった人達は元ヒッピーだったりして、有機農業とかナチュラル志向で世の中を変えたいと思っていた、という事を改めて思い出して。
ロハスの本質とは、「有機農業をベースに健康な人・地域・地球をつくり、持続可能な社会の実現を目指す」こと。人と地域と地球の健康に良い有機農業こそ原点だと確信し、日本の地域へと目が向き始めたんです。すると、ちょうどその頃ロハスに関する本を書いたのをきっかけに、講演などで地方に呼んで頂く事が増え、農山村とのご縁ができ始めました。
キノコハウス佐藤さんのキノコ
福島県西会津町でキノコ栽培をするキノコハウスの佐藤さんのところへ伺ったのが、最初の本格的な農山村取材だったかと。それから、限界集落の耕作放棄地の再生を進めている、えがおつなげての曽根原さんに出会ったのが2008年の春。当時は、「コウサクホウキチって?」というぐらい(笑)。なにしろ、少し前まではずっと東京でコンシューマービジネスに携わっていたので。
でも、えがおつなげての開墾ツアーや、霜里農場40年有機農業を続けて来られた金子さんに出会うことで、私の全ての関心は農山村に向かい、各地を訪ね歩くようになりました。コウノトリの野生復帰をすすめる豊岡市、宮城県大崎市のふゆみずたんぼ、栃木県那須郡の森林ノ牧場、鳥取県智頭町の森のようちえん……。どこへ行っても、都市にはない素晴らしい資源や人々、地に足のついた仕事や暮らしがあって。それはもう驚きと感動の連続!
大和田順子さん開墾中
取材を重ねるうちに、農山村と都市をつなげること、その交流によって地域の持続可能性を高めることができ、同時に都市の人も農山村ならではの豊かさを受け取れること。そんな農山村と都市の交流によって幸せな社会が生まれる大きな可能性に気づき、これをぜひ広めたいと、『アグリ・コミュニティビジネス』という本にまとめました。
日本各地の農山村を訪ね歩くと、その背後には必ず森と山がありますよね。自然の中に居て土に触ったりしていることが多くなったので、なんかアースしている感じ。森の中に居るときのように潜在意識が活性化しているような感覚が、都会に居てもあって。チャンネルが開いているようで、四季の移り変わりとか鳥の声とかに敏感に反応するのを感じます。
そして今、平地の農業から中山間地域の農業、そして山の暮らしと林業へと、興味はどんどん上流に向かっています。私自身はもともと川の下流の人間で、子どもの頃はアメリカの上流社会に憧れていて、今は日本の川の上流に呼び寄せられて……。私にとっての新・上流社会から招待状が来ているんです。
15年通っている八丈島の森
大和田 順子(おおわだ じゅんこ)
ソーシャルアクション・プロデューサー/一般社団法人ロハス・ビジネス・アライアンス(LBA)共同代表/NPO環境立国 理事/NPO農商工連携サポートセンター 理事/立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科「コミュニティ・ソリューション演習」 兼任講師
東急百貨店、東急総合研究所、ザ・ボディショップ、イースクエア等を経て2007年より一般社団法人ロハス・ビジネス・アライアンス(LBA)共同代表。2002年、日本に初めてロハス(LOHAS)を紹介した。2010年より、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科「コミュニティ・ソリューション演習」兼任講師。持続可能な社会の実現に向けて、人・地域・地球の健康を指向するロハス(LOHAS)の考えに基づき、有機農産物の普及啓発に注力。そして、農商工連携、都市農山村交流などを通じた地域活性化の研究と実践に情熱を注ぐ。
近著に、『アグリ・コミュニティビジネス〜農山村力×交流力でつむぐ幸せな社会』(学芸出版社)がある。
● 著書