僕は京都市内の大徳寺の近くで生まれ育ちました。京都は盆地で三方山に囲まれていますが、そのなかでも北山が近くて、鴨川を上流へ7kmほど上がって行ったあたりが僕の遊び場でした。小学校4年生ぐらいから、友人の父親に連れていってもらったのをきっかけに、子ども同士で渓流釣りに行くようになって。
渓流ではアマゴを釣るんですが、お昼になると釣れなくなるので、夜中の3時頃に出発して自転車で2時間ぐらいかけて行っていました。日が昇ってくると水面がキラキラして、朝方は魚の動きも活発になります。昼になると木漏れ日がきれいで、渓流はすごく居心地がいい。川の表情の変わり方を子どもなりに感じていました。
それで夕方になるとまた釣れるんだけど、日暮れどきは急に景色が変わっちゃうんです。暗くなるのも早いし、シーンとして来て。渓流釣りにはしきたりがあって、友だちと行っても100mぐらい距離を空けて川に入るので、一人で不安になる。そうすると、木の陰に白い影のようなものがスッスッと動くような感じがして。ちらちら見え出すと、子どもだから怖くなって、もう早く帰ろうと。
目の錯覚か、気配を感じるというのか……。友だちも「白いものとか見えるよね」と言っていました。みんな感じていたんですね、日常暮らしている感じとは違う何か独特の森の気配を。
6年生からはボーイスカウトもやっていたので、もっぱら自然のなかで遊んでいる子ども時代でした。でも、小学校の卒業文集には「彫刻家になりたい」と書いていたんです。 うちの親は美術館とか奈良のお寺に行くのがすごく好きで、家族でよくお寺巡りをしていました。当時は、仏像は彫刻だと思っていなかったけど、父が勤めていた市役所の前にロダンの「考える人」があったんですね。それを見て、彫刻だ!格好いいと思ったんでしょう。
それで高校は美術高校の彫刻科を選びました。絵を描いたりモノを創ったりすることは好きだったし。 高校へは京都の河原町とか四条通を斜めに突っ切って東山まで通っていたんですが、帰りは繁華街でひたすらレコード屋でレコードを物色するという日々でしたね。森とは全然関係ない時代(笑)。
工房のある山口製材(株)で出番を待つ丸太
大学は東京に行って、「木彫刻」に取り組みはじめます。彫刻科では、石も金属も焼き物も、いろんな素材を使うんですが、やっぱり木が良かった。感触とか、匂いとか、刃物があれば家でも彫れるという距離の近さがいいなと。
木にはみんな匂いがあります。ヒノキ、ヒバ、スギ、カヤ……。いろいろな木を使いますが、とりわけクスノキは独特の匂いがある。樟脳なんかの匂いですよね。実は飛鳥時代の仏像はほとんどクスなんです。一木造といって、丸太をダイナミックに使って、ガツンと木の立ち姿がそのまま仏像の形になっていて。そういう事が分かってくると、またクスが好きになる。「これは飛鳥の人が嗅いでいた匂いだ、感触だ」と思うと、時空を超えてコミュニケーションを取っているような気がします。
僕は、九州のクスノキの丸太から彫るんですが、たたいていると水が出てきたり、ヒビ割れたり、ねじれたりします。でも、木はそういうものだから、これはこれでいいと認めてしまいます。認めさせる強さみたいなものが木にはあります。
動物をモチーフにしているのには、造りたいものを普通に造って展示したい、奇をてらわず普通のことを普通にやりたいとの思いがあります。とかく現代美術は、普通のことは駄目みたいな感じですけどね。僕の作品は「表情がない、動きがない」と言われることがありますが、例えばトラが威嚇しているポーズとかって興味がないんです。ちょっと静かな表情のほうが、見る人によっていろいろに見える。うれしそうだなとか、ちょっと元気がないかなとか。不思議なことに「生きてるみたい」といってくれる人もいます。嬉しいですね。
作家が語るのではなく作品が語る。見る人の思いの幅で見え方が変わる。変わって良いんです。そう思うと、能面や仏像もそうですよね。演じる人の所作によって表情が変わったり、仏像も直立不動だけど微妙に動いたりもする。わざわざ説明したりしない、「黙して語らず」。そういう日本の美意識みたいなものは、譲れないですね。日常の中にも生成していきたいなと思うんです。
制作中の工房にはクスの香りが漂う
2009年、メルシャン軽井沢美術館で「もうひとつの森へ」というグループ展をしました。建物のすぐ外には本物の森があるので、室内には森のジオラマみたいなものじゃなくて、みんなが持っている森の感じを増幅させるような展示にしようという企画です。僕の他には、植物園をテーマに作品をつくっているノルウェーのマイ・ホフスタッド・グネス、ドイツの森を撮った津田直、砂糖と卵白で壁に真っ白な森を描いた佐々木愛など、作家たちがそれぞれの森を展示して凄く面白かった。
『Animal 2009-06B』
展示のレイアウトについてみんなで話していると、「森の道はここで曲がってもらいたい」とか、「ここにシカがいるといいよね」とか、作家それぞれの「森感」みたいなものが一致するんです。何かわからないけど、みんなが「森」というリアリティを持っていて、それを共有できる。育った場所も環境も違って、それぞれ全然別の森を見てきたのに、僕らには森に対する「共通言語」があるんですね。
先月(2010年9月)鹿児島県霧島アートの森という美術館に展示をしたんですが、室内には樹木があるわけではなく僕の彫刻作品を置いているだけなのに、そこでも「森に居る感じ」がする、「森林浴みたい」と言ってくれる方がいて。動物の彫刻を見ながら森林浴って、木の匂いとか質感とかでしょうかね、そういう所でつながってくるというのが面白いなあと思います。
みんな、頭の中に森を持っているんですね。
三沢 厚彦(みさわ あつひこ)
彫刻家
1961年京都生まれ。
木彫により、等身大の動物を制作している。全国各地で「ANIMALS」の個展やグループ展を開催。
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